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古代山城の魅力

201909051913261c1.jpg古代山城の鬼の城(岡山県)

Date:2019-09-13(Fri)

岡山ー福岡ー熊本ー愛媛ー香川と9日に及んだ遅い夏休みも終える。そのひとつが『古代山城』だった。

歴史の中に突然出てくる白村江の戦いは、天智2年(663年)、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との海戦。それも唐を相手の真っ向勝負の大敗北。古代とはいえ、日本の国力が充実していたとも言える。

その対朝鮮・中国の情勢の中で7世紀末に九州から瀬戸内の西日本各地の山に築造された防衛施設の総称が『古代山城』。

従来、文献に見える山城は「朝鮮式山城」、見えない山城は「神籠石系山城(こうごいしけいやまじろ(さんじょう)、神籠石式山城)」と呼び分けられてきたが、近年の発掘調査により両者の違いが必ずしも明確でなくなりつつあり、これらをして「古代山城」と総称される傾向にある。

文献に見える城は12ヶ所(狭義の朝鮮式山城11ヶ所と中国式山城1ヶ所)、見えない城は16ヶ所(いずれも神籠石系山城)があり、合計28ヶ所を数える。

これらは基本的に山1つを防御施設としたもので、山の頂上付近を土塁・石塁で区画しており、大規模なものでは区画の外郭線が数キロメートルに及ぶ。当時の国家の大プロジェクトといっていい。7世紀中頃を超えると、これらの城は歴史の舞台から消える。

趣味の世界での『古代山城』の魅力は、西日本各地に及び30ヶ所程度で共通点が多く、ここ最近、研究成果で、その全容が明らかになってきたことだが、ただ、三尾城(滋賀県高島市)のように未発見や発掘調査段階で未知数なところもあり、想像をめぐらすことができるからだ。

大きく語ると、当時の政権の考えもあるが7世紀以降の新羅との国交断絶があっても唐との国交など平和な関係が、古代山城の役目を終えたとも考えられるなど、どこか今日に通じるものがあるように思っている。



















2019.09.13 | | 日記



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プロフィール

furaibo

Name : furaibo
【経歴】
1952年 四国高松市生まれ
1976年 神戸商船大学卒
1976年 日本原子力発電勤務
1999年 敦賀市議会議員5期20年
2019年 フリー
【家族】
妻、息子2人、孫3人

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